2012年11月9日金曜日

弟の投稿:男女で読み方が異なる例


ミレニアムと私
http://b-bookshelf.com/asin/4152092580.html

同情的だから、たぶん、上のは女性だろう。

身を護るためなのねと舞い上がってるのが女性で、その後の経済的考慮が無いじゃないかというのが男性だと、そう思う。

まぁ実際的現実的な判断ということで、考えたらそうだろうと思うのだが。



スティーグ・ラーソン最後の名作
http://blog.livedoor.jp/tomsatotechnology/archives/51473540.html

これなんか、作家の生活を知って涙が出るほどなんだが、
それにしても原作を忠実に映像化したといわれながら、すべてを映像化した訳じゃないらしい。


『ミレニアム』作家が遺した最強ヒロインと遺稿論争
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2009/12/post-840.php

その後のごたごたとスウェーデンの出版読書界の状況など搔い摘んで書いてある。

フランスでさえ文芸雑誌というのは無いそうだから、大変だろう。

で、冒頭の判断について、異論があるようなのだ。

自分は、20世紀初頭の「世界の都市パリ」という、英国人が認めていない現象に魅惑されてるので、こういう解説を読むと、女って余計なこと考えるんだなと思う人種なのだ。

高雅で感傷的なワルツ
http://www.asahi-net.or.jp/~qa8f-kik/Ravel/Analyze/08_Valses_nobles_et_sentimentales/index.html
3.「アデライード、または花言葉」7つのワルツとエピローグ

この場合のラヴェル自身の脚本をとやかく言うのは腐女子ってヤツでしょ。

まぁそれで、妹に冒頭の論を問うたら、女はうれしいんじゃないの、と。
臨時収入があるのは嬉しいはず、と。
どうやら、旦那が死んだは別問題で、カネが動くのは別腹らしい。それが手に入るか否かは後の問題として。
だから女の方が現実的だという。

いや、これ現実的なんかじゃじゃなくて、刹那でしょ。
手に入らないカネでも喜んじゃうなんてバカだと思うけどね。



ちなみに「世界の都市パリ」というのは第二帝政以降に国力を競ってパリとシカゴで交互に万国博覧会を開催してる内に第一次大戦を挟んでアメリカドルが強くなって逆転する「狂乱の20年代、30年代」へと引き継がれる沸騰現象だろう。
論評や詩をネットで読んだ感想だけど、マラルメの雑誌「最新流行」さえ全集でしか翻訳が無いにもかかわらず、近頃の高級ファッション誌と変わらずスノッブで個人的感性が強い
例えば、最近読んだティム・ガンの本がそうだった。
となると、マラルメは難解なんじゃなくて映像化すれば良いだけだ。室内装飾や骨董、当時流行のブランドのカタログがあれば、こうした考古学は容易いものとなるだろうに、一部専門家が秘密にしてるだけだ。

2012年10月22日月曜日

佐野対橋下について




> 自分は人のブログばかり見てるけど。
>
> "猪瀬直樹..."
>
> ソース: wrong, rogue and booklog 12/10/18
>
> “
>
> 猪瀬直樹 @inosenaoki
> 1985年11月号月刊『現代』「池田大作『野望の軌跡』」(佐野眞一)は1981年三一書房刊『池田大作ドキュメントー堕ちた庶民の神』(溝口淳著)からの盗用が10数箇所もあり、翌月『現代』12月号に「お詫びと訂正」があります。このときから品性に疑問をもち付き合いをやめました。
>
> 猪瀬直樹 @inosenaoki
> 1990年文藝春秋刊『紙の中の黙示録』(佐野眞一著)の38P~43Pは1988年文藝春秋刊『新東洋事情』(深田祐介著)の70P~73P(文庫版)と瓜二つで大宅賞選考委員だった深田氏は「なぜこんな本を候補作にしたのだ」と怒った。業界が甘やかして何でもありをつくった反省も必要。
>
> 猪瀬直樹 @inosenaoki
> 1993年講談社刊『日本のゴミ』(佐野眞一著)359Pは1987年PHP刊『ドキュメント東京のおそうじ』(山根一眞著)131,132Pから盗用、タイトルが似てるだけでなく目次もそっくり。著者が悲憤慷慨して電話してきた。編集者は触れたくない、裁判コストもたいへんだしね。
>
> ”
>
> -
>
> そうか、佐野眞一氏って、盗用の常習犯だったんだ。がっかりだな。
>
> https://twitter.com/inosenaoki/status/258969657199951872
という、メールを送ったら、弟から以下の返信が。

引用
昨晩、フジのMr.サンデー で嬉々として朝日の連載中止を伝えてた。

佐野眞一は『渋沢家三代』『巨怪伝─正力松太郎と影武者たちの一世紀』『凡宰伝』しか読んでないので、石原一派による援護射撃かと思う。
大体、掲載時に編集部が素読みで引用として指摘すべきことだろう。

裏で何があったか、まぁ、それでも、朝日はライターを護らない編集部としての名乗りを上げた訳だ。

佐野のこれまでの立場なら、『カリスマ-中内功とダイエーの「戦後」』『東電OL殺人事件』でのように裁判沙汰を避けてないのだ。
中内とはダイエー社長室で握手を交わし全面協力の下、連載が始まるや立ち入り禁止と告訴となった。

それでも佐野の著作では、『宮本常一が見た日本』『旅する巨人─宮本常一と渋沢敬三』と『阿片王 満州の夜と霧 』『甘粕正彦 乱心の曠野』は読んでおきたい。

ところで、
もしこの連載をするなら、溝口敦だと思ってた。
佐野じゃ専門外で力量不足だろう。

こういう意見があって、なるほどと思ったので尚更だ。


橋下氏についての週刊朝日連載
http://u-yosihiro.at.webry.info/201210/article_8.html
しかし、こうして一般地区出身の作家が、路地について書くことは、とても重要な意味をもつ画期的なことです。
大事なのは、影で噂されることではなく、表立って議論されることにあります。そうして初めて、同和問題というのは解決に向かいます。



結局、朝日は政局を睨んで中途半端な個人批判を考え、フジは臭い物(同和問題ほか)に蓋して喜んだという、マスコミお気に入りの図式に落ち着いたようだ。

2012年9月15日土曜日