2016年4月27日水曜日

下書き。ポストイットも拾い切れてないし、無駄が残っているし、Kindle版出 た ら書き直す

佐藤亜紀「吸血鬼」の感想
  • この感想文は、見事な構築物に、屋上屋を架すだけのものなので、未読の人は、直ちに踵を返して、リアル・オンラインの書店に走り、本作を手に取って欲しい。決して後悔しないことを保証する。
  • 一読して思ったのは、本作は、ゲスラーとエルザの尋常な愛と異常な愛の物語であるという事。
  • また、読後ではあるが、官僚小説と喝破された評を読み、それにだいぶ影響されたことは確かだ。
  • http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160315-00010000-bookbang-ent
  • これも気になった。
  • http://blog.goo.ne.jp/omarihajoto/e/0ffcdf78d4b3196f0cb139853f141670
  • こちらの方が決定版と言える。酒の色の使い分け、ゲスラーの吸血鬼化の過程、など
  • http://rhodiolarosearoot.blogspot.ca/2016/02/blog-post.html
  • 主題は、明白で、エルザの死の床の傍にあって、バルトキエヴィッツが勝手に縷々述べる通り、我々の絶望的な生の有り様、それに抗う姿も含めて、である。この主題を補強するため、様々な対比が描かれている。主要な登場人物には、それぞれ対を成す相手がある。
  • 視点は、ほぼ、主人公のヘルマン・ゲスラーに近い目線で描かれる。
  • そして、エルザだけが異様なまでに自己犠牲的で理想化されている。これらは、すべて、ゲスラーの視点と言っていい。ただ、この視点というものは曲者である。書き出しの、20年前の天才詩人のデビューからの経緯から、馬車に乗った役人夫婦の手元の詩集につながる映像的な視野は、三人称であるが、ほぼ、ゲスラーの知識と視界の展開である。この意味では、ゲスラー、クワルスキ、マチェク、だけが、この視界の手法の対象で、他は、読者からは不可知の中である。
  • そして、刺繍の奉納から始まる晩禱と首切りの渾然となった壮麗な、何か。
    • クワルスキが、初めて、ゲスラーに嫉妬した儀式(とクワルスキは見なしている)。
    • 黄金のミサ、首落とすという蛮行と並行して、刺繍奉納のミサが執り行われる。重苦しい、悲惨な社会衛生上の儀式としての首切りの、荒々しく陰惨な空気のまま、貧しい村人の歌うミサの詠歌クレドとゲスラーの悔恨の歎きが重なり合い、荘厳なミサになる。黒地に赤インクで印刷すると黄金になるという。私の頭にも、黄金の聖堂で歌う人々が浮かんだ。悲嘆が人々を取り囲み闇に光り輝く数多の顔が浮かび上がるのだ。これがクライマックスで、受胎告知の逆に当たる次のシーンの前置きになる。
    • 受胎告知の逆を実行出来るのは、天の差配でしかあり得ない。
    • ヤンの一連の不始末は、クワルスキが、かくあれと夢想したものだろう。それへの対処も、また然り。
    • 決闘用の銃は、帝国からの贈り物。天からの指名カードだ。青年の仕業か。
  • ヤレクとは、最初の出会いから、結び付きがあった訳で、その道具箱の上にエルザが座り、運命を暗示されている。
  • まず、主人公の名前の問題がある。弄るのが、クワルスキとバルトキエヴィッツだけなので、既に浮世離れした、お話のこととされている訳で、後に出てくる、真面目に受け取られない独立運動の現状が分かる。
  • 初め、誰が吸血鬼なのかは不明なものの、ゲスラーに取り憑いたのが、始まりになる。
    • 吸血鬼と目される青年(以下で、ただ、青年と書いた場合は、この吸血鬼を指す)は、ゲスラー達より先に宿に居たが、この時点で姿は誰も知らない。その話の内容からゲスラーの青年時代の残滓から生まれたとしておこう。これは、読者にはクワルスキと共通すると思われるが、ゲスラーとこの話をするのは、正直者のヤレクだけである。
    • ドアの青年がゲスラーに取り憑いたのはいつからなのか。宿屋が正解のようだが、若き日に捨てた夢の残滓も養分にしてそうだ。
    • そして、上の指示という青年、実際、イェの指示で働くゲスラーのパラレル。上の指示は エルザの招聘も、クワルスキも、ウツィアのゆっくりとした改革も含むものだったのか。
    • 青春という、青臭く、美しく、滑稽で、醜い怪物が、ドアの向こうにいる。
    • ゲスラーと文学=青年を共有するのは、クワルスキだけだ。
      • エルザは夫のヒーローを敬っただけで、クワルスキとは交渉が無い。
    • 青年が姿を消す時、同行するのは、クワルスキだけで、ゲスラーは、青年に起こされて、すべきこと(ウツィアの治世を守る?)ためか、エルザのお陰か、踏み止まる。
      • クワルスキは、現実を見失った振りをしたせいか、餌食になって、退場する。
    • だが、ゲスラーは、地の塩になってしまう。これが、ウツィアの代表する現生の力で、帝国の力だ。
    • ヤンの同類項は、若き日のゲスラー、クワルスキ
    • ヤンは、バルトキエヴィッツとつるんだ、若き日のクワルスキの二番煎じだ。
      • すり減ってしまい皮肉屋でしかなくなったクワルスキと才能すら持ち合わせが無いヤン
      • ウツィアの支配下に置かれている。
  • ヤレクは、外部のように見えて、秩序を担う穢多のような存在
    • ヤレクは、ヘルシングの系譜か。
    • ある意味、村人を扇動する自然の社会主義者、マチェクの父親もそう。
    • この二人は象徴的な双子か。アウトロー組。
    • クワルスキの独立からさらに進んで、革命まで行ってしまいそうになったマチェクの父親が、後に、独立派から村を守るゲスラーの手足(保守権力)になる。
  • 誰が、分かり易い、吸血鬼か
    • 大奥様の生まれ変わりと言えるウツィアも、その誘惑に乗ってしまうゲスラーも、その手に掛かるクワルスキも、視点によっては吸血鬼だ。
    • マチェクの父親が手入れした、二丁の拳銃は、言ってみれば、人間・官僚代表のゲスラーと夢想家・吸血鬼側のクワルスキに分かれた時の決闘用拳銃。
    • マチェクは、どこから見たら吸血鬼だろうか。きっと、親父から見ると、だ。役立たずと罵ってはいるが、もし出世したら、そうなるだろう。父親が代表するルンペンの上前をはねる官僚になるからだ。
    • バルトキエヴィッツは、社会の吸血鬼・クズだが、人類を、エルザも含めて、吸血動物と蔑んでみせる。
    • 天使のようなエルザ、は、違うように、このルールから外れているように、思う。このエルザを崇拝する姿勢は、ゲスラーの姿勢・視線でもある。
      • 彼女は、なぜゲスラーを愛した、愛しているのだろう。母性からだろうか。
      • 身体は人間なので、耐えられなかったか。
      • 最大の幸福の直前で、絶えてしまう。
      • 永らえたら、彼女の啓蒙活動は、村に何をもたらしただろう。
        • だが、それは、上のほうが許さないことだったのだ。
      • ゲスラーが青年に妻を奪ったと言ったら、上で決めた事と言う。これは天の決まりだということか。
      • ゲスラーにとって、腹を括って、別れるべき人だったのかも知れない。
      • エルザの命を賭した(天上からといっていい)愛の由縁は書かれていない。ゲスラーでさえ、不思議に思う。と、同時に、吸血鬼の背年の由来も明記されていない。ここに、エルザと青年の対立がある。
  • 対になる人々
    • マチェクとヤン
      • 生まれの違いだけだが、かなり仕上がりは違う。
      • 有能な小役人・弁護士候補と、田舎領主候補。主従は出来るだろうが、反りは合わなそうだ。
    • バルトキエヴィッツとマチェックの父親
      • 偽者の語るだけの社会主義者と、現場叩き上げ・生まれついての、根っからの密猟者・社会主義者革命家
    • エルザとウツィア
      • 天から生まれ出たものと、地で育ったもの
        • 自己犠牲によってゲスラーを引きとめようとする
        • 現生利益によって引き止めた。金、権力、愛欲。
      • どうでも良いが、マチェクの慕情は、クワルスキの取引の材料にしかならない。ゲスラーが気付かないのは、そう決めたからだ。ウツィアはマチェックをいじめたよね。
      • ヘルマン、と艶やかに呼びかけるのは、ウツィアだけだ。その意味で、対等なのは、ウツィア。
  • 終わりの5ページで震撼した。ゲスラー、君は目覚めた時に、行ってしまったのだ。
  • 村の子供に見られる最貧困と不釣り合いな才能は、 黄金の仔牛でも出て来た絵柄である。無駄に見える才能の発露は、ウツィアの商才に、一つの可能性を見出せる。クワルスキは、ここにこそ、可能性を探すベキだったのだ。
  • 年表
    • 到着日に日付が幾つか明かされるが、特定出来なかった。
    • クワルスキは、1799年生まれ、27歳、1826年に処女詩集すみれ、を出版。
    • 舞台は、それから20年後のゲスラー赴任から始まる。単純に20年後なら1846年。これは間違い。革命の1830年は通り過ぎて、それから20年後の記述があるから(文のつながりを見落としていた)、少なくとも、1850年以降である。
      • パネンカの14年の奉職の終わりでもある。
    • 大晦日の朗読会が1つのクライマックス。
    • 翌1月14月土曜の晩祷、3人の首を切る儀式とエルザの布の奉納
    • 但し、1月14日が土曜なのは、1837年、1843年、1854年、1860年。また、クワルスキを50にしては云々とある。なので、1854年を想定しておく。物語は1853年に幕を開けたことになり、クワルスキは享年55歳となる。
    • 当日、エルザの流産
    • 翌日、エルザ、秘蹟、死亡
    • エルザの首を切った翌日から3日夢の世界構築に勤しむが、その夢には、勿論、青年はいない。却って、起こしに来たのだ。
    • 2月15日、ウツィアの仕掛けに寄り、バルトキエヴィッツがヤンを密告、ウツィアへの隠蔽工作の提案、クワルスキによるゲスラーの舞台の解釈と訣別、クワルスキの最後の夢、自害。
    • 4月に戻ってたウツィアとの場面で終幕。
    • ゲスラーはしくじったと言うが、どこからしくじったと言うことなのか、ウツィアに従えなかった、クワルスキを救えなかった、更に生まれた時から、と言い募るが、それは個人の誕生した、また民族が誕生したと旧世代が信じて酔った、この時代の事でもあり、絶望と諦念から、人間の発生から失敗していると結論付けている。
    • 1840年、モネ、ルドン、ロダン、1841年、ルノワールらが生まれている。彼らが小学校に上がる頃の話になる
    • 五代友厚は1836年生まれ。五代は10歳だ。
    • あさが来た、は、1861年、あさは11歳から始まる。つまり、1851年生まれ。
    • オランダ第4代女王ウィルヘルミナ王女は1880年生まれ。

図書館大戦争、または、司書、の感想メモ

事情があって、メモをまとめるチャンスが無さそうなので、メモのまま。
グロモフというソ連時代のプロレタリア文学の作家が残した数冊の本の初版本に、連続して通読という2条件が重なると、特殊な効果が得られることを見つけた、通称グロモフ界の、本の争奪抗争を描いたダークファンタジー。
書名は、原題の司書の方が遥かに相応しい。ダークなファンタジーとして、読後にハッキリする。
訳者の歯切れ悪い言い訳にあるように、邦題はマーケティング的に編集部で付けたもの。

ひたすら、書への帰依を訴えるシローニン読書室メンバーの胡散臭さと対を成す、覚醒後の手の平を返したような語り手の態度、信頼できない語り手問題。
初めから最後まで、語り手=主人公なのだが、今、どこで何をしているのかが、最後の謎になっている。

本について
  • 本の効果は初版本に限られ、本によって異なる。
  • グロモフの本そのものの内容が全く無意味・無関係なのが、作者の皮肉だ。
  • 力、忍耐がそれらの一時的な賦活、は分かるが、記憶が偽のソ連時代の郷愁を植え込んで読者がそれに耽溺するのはただの麻薬的なものでしか無い訳だが、実は重要な意味があった。
  • 権力の書は、そのものズバリ。
  • 最後の未発見だった書が、意志の書、なのは良く考えられている。
  • 但し、意思の書だけ、血統が関係するのは、ご都合主義。
  • 効果を持つのがグロモフ初版本だけでなく、当時の労働行進曲などもやや賦活効果のあることが判明する。そして、これが意味するものは。
グロモフ界全体が、宗教カルトと同じ組織構造。
  • 共産党のセクトとも言える、いや、セクト活動だ!
  • 反発、同志的繋がり、奇跡の啓示で、のめり込む
  • 但し、積極的なオルグはしない。自ら閉鎖社会を形成していて、特別な関係のものだけを引き入れている。
  • 脱走者、独立を目論むものも同様、制裁を加えている。

掘り下げたい課題
  • なぜ、ロシアではなく、ソ連への郷愁だと明言していて、「ソ連が無くなると生まれ故郷のウクライナは故郷ではなくなった。」なのか。
  •  モホバの母さん部隊は、地母神か
  • 書の数は、聖典と同じか、それとも、必読レーニン選集か。
  • そして主人公の属するシローニン読書室の人数は、使徒の数か。
  • 裏切りが埋め込まれている組織、というのは、驚きだった。
  • 話題になっている戦闘シーンの描写は言及すべきか。
  • 結末は、即身成仏。神秘主義ロシアだ。といっていいか。
  • 以前観たロシアSF映画で異世界の門の番人が、工場の受付でマージャンのようなゲームに興じていた4人組の老人で、そのまま、守り手としての力を付与されたというのがあって、牌を打つと、ガーンと大音響と共に、その力が壁を押し返すというのだったが、なんとなく、それを連想した。