2017年4月20日木曜日

ケストナー、ファービアンの感想

星新一のように端的な文章で綴られた、ワイマール末期を舞台にした風俗小説。
ファービアンに近い年齢の時には、他人の悲劇は喜劇として観察出来たのだが、ファービアンの年齢を超えた今となっては、余りにも切なくて、読み進めるのが辛い。
特によく出る地名は、ブランデンブルグ、ティアガルテン等あるが、バスや電車の移動手段を使ったり、歩いたとしても、各点はつなぐだけ、ただ通り過ぎるだけの書き割りに過ぎない。
ファービアンを表すモラリストとは、短絡的には、人生の傍観者、観客の事である(この時代ではそう成らざるを得ないという筆者の結論だと思う)。
そして自分の人生を生き始めると、傍観者ではなくなったしまう。冒頭のインモラルな夜遊びも、モラリストを自称できる間は、実は何もしてはいなかったのである。
恋人を得て、人生が始まった、部屋が色付いた、その日に、精神病院脱走者を匿い、優秀で皮肉が過ぎたために失業し、親友と出掛けた夜、地獄巡りなのだろうか、ファシストとコミュニストの鏡写しの内ゲバみたいな決闘、芸術家の乱痴気騒ぎに、不穏な世情が描き出される。
突然、恋人を失い、モラルを失い、決定的な破局。街ではデモ隊と警官隊の衝突、歓楽街の賑わい。
そして、親友を失う。
ここにも、自身と友人の間の鏡がある。
失われたものは大切なものばかりなのに、失う理由は下らないものばかりだ。

うっ、随分前に書いた感想だが、なぜ、こんなにセンチなのか。