2017年5月10日水曜日

アニメ「アリスと蔵六」第1期の感想(ネタバレ)

主に、アニメで見ているが、コミックの無料試読は、以下で可能
https://comic.pixiv.net/works/3285
ちなみに、主人公の名は、アリスではない。

基本、若者向けのSF。
自分が、何処から来て、何者で、何を為すべきかを問う主人公の成長の話。
中高校生の頃から、ある程度は読んだと思う、スランや、その他、ジュブナイルと言われた、今日の基準では、ラノベが担う筈だったYAものの系譜にある。
作者がどういう経緯で、この構想を得たかは知らないが、素人の自分でも、魔法少女、バトル、友情、成長、といった手垢の付いたバズワードを散りばめて、上の問い掛けを提示する道具として活用しようとしただろうと思う。
そこで、飛躍の鍵になるのが、主人公の設定だ。
純粋に上の質問を問うために、不要な要素をすべて外す。
そうすると、一番の夾雑物が、人間であるコトだとする視点があり得る。そうなれば、意思も、生命すらも持たない、魔法のような「現象」そのものを主役に据える事も可能だ。惑星ソラリスを思い浮かべるのも正しいと思う。周りの意思や行動を吸収して、知識や言語を学習したのだから、ソラリスの海よりは動物的ではあるが。
そして、何を持って、人は人たり得るのかの質問が可能になり、もう一人の主人公によって、答えが出される。

色々前後してまとまりが無くなってしまい、ようやく、ではあるが、話の前提、スジを説明する。
「アリスの夢」という現象が世界各地で、ごく僅かだが発生している。ここは、設定の不満点で、今の世界が舞台なのに、そこまで情報統制できるとは思えない。対立する関係組織が複数あるようで、各国政府が隠しているのは難しいと思う。それに、米国政府系(軍寄りの)組織と協業している組織を、日本政府系組織が逮捕解体するのは、無理筋だろう。
閑話休題
「アリスの夢」は現象名で、能力者の呼称ではない模様。鏡の門(ルッキンググラス)というホログラムで出来た王冠型の結晶様のものを呼び出し、(ほぼ、偶然に決まる)その能力者に固有のものを、一種類だけ呼び出せる。呼び出すものは、物理的存在とは限らない。「絵に描いた状態」とか、「魔法少女という状態」とか、鎖に関係するもの全てとか、その個人固有のものらしい。
主人公、通称、赤の女王だけは、何でも呼び出せる。だが、彼女は、その出自が謎だ。地下で、生物を模倣し、人を模倣して、人間の姿になったと言われる主人公にとって、幽閉状態の研究所こそが、外界との唯一の接点で、何を呼び出すべきか、知らないため、無制限の力で異常な空間を創造するが、力を利用するため、仲間を何かに変えてしまった研究所の目的を知って逃亡して、物語が始まる。そして、この幽閉状態は、もう一人の主人公、花屋の蔵六じいさんにとっては、人類の未来のための研究などではなく、虐待でしかない。
基本、追うものと追われるもの、世間知らずと教育係のお話。
日米の関係機関の姿勢の違いが、ちょっと都合良すぎるが。
初回から対立組織が暗躍し、派手なバトルが起きる。これは、味と言うべきかもしれないが、絵柄がホワワンとしているので、アクションシーンは良く出来ているのに、個人的には、緊迫感に乏しい。
ただ、酒呑童子の腕を呼び出しているかと思ったミニーCが、亡き夫の腕を出していたのは、驚きだったが。また、一条雫は、カッコ良すぎて禁じ手にすべきだったと思う。
前半5話で第一期というらしい。幼女戦記でも、6.5話で、現状報告のまとめの回があったが、制作が間に合わないのか、6話の筈の日に、2期開始直前の座談会を放送した。
4話目で提示された主人公の秘密が、5話で、蔵六によって、また、主人公の未来の姿(これは自明だと思うけど、ネタバレか?)によって、一応の解決、何処から来たかは問題ではない、どう生きるかだ、を得て、クライマックスを迎えた。

2017年5月2日火曜日

読了:スウィングしなけりゃ意味がない (角川書店単行本) kindle版

佐藤亜紀「スウィングしなけりゃ意味がない」読後感想
初読後、気になったので、3回読んでしまった。完全版の後書きが欲しいので、kindle版を購入。kindle版の不満は、栞がやり辛い事。エディの母が歌う歌詞と、エディが初補導後に起き上がる時の言葉とか、掛言葉がグループ化しづらい。
兎も角、自分はまだ把握し切れてないと思う。空襲後に、マックスの祖母の部屋のカーテンが閉まる意味とか、解らないというより、色々キチンと言語化出来ていない。
なので、ダラダラした感想文を取り敢えず。これで終わってしまうかも知れないし、全部、書き直すかも知れない。まず、各主人公について。

エディに出会う前に、マックスは何をしていたのか。
マックスは、両親の死を受け、自分も死んだと感じていた。
それをレンク教授が、強引な手段、音楽に突っ込む事で、無理矢理、この世に引き戻していたのである。そして、音楽の、裏技的な、スウィングに出会った。レンク教授をすら捉えて離さないスウィングの魅力に、マックスは生への理由を見い出したのだろう。

ここでの疑問、エディはなぜマックスに出会う前にデビューしていなかったのか。来年、という事だったかも知れない。上級生になれば、という意味で。但し、事後的にだが、それでは遅すぎた事がわかる。
そして、マックスはエディが羽化寸前の繭であることに気付いていたのか。そう、気付いていたからこそ、エディと対等な関係を築くために、まず、上級生のニッキー、テディーに渡りを付けてから、エディの助けを借りに来る(テディは最後に死に別れる友人だ)。なぜ、分かったのか。クラス内で一匹狼、言って見れば、嫌な奴だったからだ。そこに同類の匂いを嗅いだのだろう。

エディは、初め、マックスのマネージャーだと名乗り、そのような保護者的な態度を取るが、後半、ハンブルク空襲をヨットで共に潜り抜けてから、マックスは、市街地を、教会のミサを経験する事で、生を見出し、改めて、死者の街だと認識し、今度は、エディが死者の目で、頭で、亡くなった父親の代わりに活躍しだすと、同じように、マックスは、エディをマネージメントする。

彼らの被災者を探す町廻りは、地獄巡りさながらである。

また、マックスは、僚友長襲撃事件の立案者であり、重要な証拠写真の撮影者である。これは死者の頭で考えたからだ。
ハンブルグ空襲、両親の死の後、このような超越したアイデアは、エディが担当するようになる。死者の目だ。
彼らは、鏡写しの双子なのかも知れない。

もう一回、仕切り直し。マックスについて、書いてみる。
巨大な才能は、救いでもあるが、呪いでもある。両親の死に直面して、ヨットで閘門の先まで行って戻った時、操船技術は飛躍的に伸びた筈だ。この時、レンク学派の真髄、クールを知ったのかも知れない。空襲の日の見事な操舵術は、まさに、その後の地獄巡りの幕開けに相応しい。また、レンク教授という具体的な姿を取る音楽の才能にしても、飽く事無く、もっとを要求して、日々の鍛錬だけでなく、新しい、スウィングを求めさせる。そして、その象徴、盟友のエディを得る。
だから、祖母の死に、世界とのつながりを失ったと感じた時、すぐに、エディに助けを求めた。

クーは、父親っ子だったのかも知れない。
理想に燃えた父親が社会(具体的には勝者となったSSと敗者の共産党による裏切り)に敗れて、敗残兵のように暮らす傍ら、堅実な母親と共に、父とは違う、世俗的出世の道を模索して、僚友になった。
勿論、彼は死を望んだり、死んだりはしない。
スウィングにハマり、僚友を抜けても、転機の決定打では無かったが、トンフォリエンが決め手だった。音質を求めて、こいつとラジオを改造する事で、どんどんメカニックに目覚める、これは父が外れてしまった道だった筈だ。父はラジオの修理で喰いつないでいるのだから。
母親の死後、半狂乱になった父親と和解して、そして、義理の代理父と言うべき、ラニチェフスキーへの弟子入りで、全てが変わった。死にたくなくなったし、死を思う代わりに生を思うようになった。
そして、リリーとの結婚。
ある意味、平凡で美しい戦後生活の象徴。

この物語は、三人の成長の物語だ。死があり、危機があり、別離があり、恐怖と試練がある。
だから、ある意味、既に大人だったアディ(失恋済み?)は途中退場せざるを得なかった。相応しい成長を遂げたエディと再び出会うために。しかし、それは別の物語になる。