2017年5月2日火曜日

読了:スウィングしなけりゃ意味がない (角川書店単行本) kindle版

佐藤亜紀「スウィングしなけりゃ意味がない」読後感想
初読後、気になったので、3回読んでしまった。完全版の後書きが欲しいので、kindle版を購入。kindle版の不満は、栞がやり辛い事。エディの母が歌う歌詞と、エディが初補導後に起き上がる時の言葉とか、掛言葉がグループ化しづらい。
兎も角、自分はまだ把握し切れてないと思う。空襲後に、マックスの祖母の部屋のカーテンが閉まる意味とか、解らないというより、色々キチンと言語化出来ていない。
なので、ダラダラした感想文を取り敢えず。これで終わってしまうかも知れないし、全部、書き直すかも知れない。まず、各主人公について。

エディに出会う前に、マックスは何をしていたのか。
マックスは、両親の死を受け、自分も死んだと感じていた。
それをレンク教授が、強引な手段、音楽に突っ込む事で、無理矢理、この世に引き戻していたのである。そして、音楽の、裏技的な、スウィングに出会った。レンク教授をすら捉えて離さないスウィングの魅力に、マックスは生への理由を見い出したのだろう。

ここでの疑問、エディはなぜマックスに出会う前にデビューしていなかったのか。来年、という事だったかも知れない。上級生になれば、という意味で。但し、事後的にだが、それでは遅すぎた事がわかる。
そして、マックスはエディが羽化寸前の繭であることに気付いていたのか。そう、気付いていたからこそ、エディと対等な関係を築くために、まず、上級生のニッキー、テディーに渡りを付けてから、エディの助けを借りに来る(テディは最後に死に別れる友人だ)。なぜ、分かったのか。クラス内で一匹狼、言って見れば、嫌な奴だったからだ。そこに同類の匂いを嗅いだのだろう。

エディは、初め、マックスのマネージャーだと名乗り、そのような保護者的な態度を取るが、後半、ハンブルク空襲をヨットで共に潜り抜けてから、マックスは、市街地を、教会のミサを経験する事で、生を見出し、改めて、死者の街だと認識し、今度は、エディが死者の目で、頭で、亡くなった父親の代わりに活躍しだすと、同じように、マックスは、エディをマネージメントする。

彼らの被災者を探す町廻りは、地獄巡りさながらである。

また、マックスは、僚友長襲撃事件の立案者であり、重要な証拠写真の撮影者である。これは死者の頭で考えたからだ。
ハンブルグ空襲、両親の死の後、このような超越したアイデアは、エディが担当するようになる。死者の目だ。
彼らは、鏡写しの双子なのかも知れない。

もう一回、仕切り直し。マックスについて、書いてみる。
巨大な才能は、救いでもあるが、呪いでもある。両親の死に直面して、ヨットで閘門の先まで行って戻った時、操船技術は飛躍的に伸びた筈だ。この時、レンク学派の真髄、クールを知ったのかも知れない。空襲の日の見事な操舵術は、まさに、その後の地獄巡りの幕開けに相応しい。また、レンク教授という具体的な姿を取る音楽の才能にしても、飽く事無く、もっとを要求して、日々の鍛錬だけでなく、新しい、スウィングを求めさせる。そして、その象徴、盟友のエディを得る。
だから、祖母の死に、世界とのつながりを失ったと感じた時、すぐに、エディに助けを求めた。

クーは、父親っ子だったのかも知れない。
理想に燃えた父親が社会(具体的には勝者となったSSと敗者の共産党による裏切り)に敗れて、敗残兵のように暮らす傍ら、堅実な母親と共に、父とは違う、世俗的出世の道を模索して、僚友になった。
勿論、彼は死を望んだり、死んだりはしない。
スウィングにハマり、僚友を抜けても、転機の決定打では無かったが、トンフォリエンが決め手だった。音質を求めて、こいつとラジオを改造する事で、どんどんメカニックに目覚める、これは父が外れてしまった道だった筈だ。父はラジオの修理で喰いつないでいるのだから。
母親の死後、半狂乱になった父親と和解して、そして、義理の代理父と言うべき、ラニチェフスキーへの弟子入りで、全てが変わった。死にたくなくなったし、死を思う代わりに生を思うようになった。
そして、リリーとの結婚。
ある意味、平凡で美しい戦後生活の象徴。

この物語は、三人の成長の物語だ。死があり、危機があり、別離があり、恐怖と試練がある。
だから、ある意味、既に大人だったアディ(失恋済み?)は途中退場せざるを得なかった。相応しい成長を遂げたエディと再び出会うために。しかし、それは別の物語になる。


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